Chapter 3
偽りの創造主たち
葛藤の末、シドルは「正しい」答えに近づく。創造主とされる人物が複数現れるが、誰が真の創造主なのか、謎は深まるばかり。シドルは、提示される真実の数々に疑念を抱き始める。
石畳は冷たく、シドルの足取りを重くしていた。学校へ向かう道すがら、いつもと変わらないはずの街並みが、まるで舞台装置のように、どこか不自然に見える。昨日の老人の言葉が、まだ耳の奥でこだましていた。「この世界は作られたものだ」「お前も、作られた人間だ」――。その言葉は、シドルの内に眠っていた漠然とした不安を、確かな形にして突きつけた。
「作られた世界……作られた人生……」
吐き出すように呟いた言葉は、乾いた空気の中で虚しく消えた。もし、この世界が、そして自分自身が、誰かの意図によって創り出されたものだとしたら。もし、自分の歩む道が、あらかじめ敷かれたレールの上をなぞるだけのものだとしたら。その考えは、シドルの心を暗い迷宮へと誘い込んだ。
学校に着くと、ざわめきが彼を包み込んだ。クラスメイトたちの楽しそうな声、教室のざわめき。それら全てが、まるで遠い世界の出来事のように感じられた。自分は、この世界の一部なのだろうか。それとも、この世界の外側から見ている、ただの観客なのだろうか。
授業中も、シドルの心は落ち着かなかった。教科書の文字は意味をなさず、窓の外を流れる雲だけが、彼の視線に映っていた。あの雲は、誰が創ったのだろう。あの空は、誰が描いたのだろう。真実を知りたい。その渇望が、胸の内で静かに燃え上がっていた。
放課後、シドルは一人、人気のない公園のベンチに座っていた。真実を求めて、この世界を創った者を探し始めよう。そう決意した矢先、ふと、あることに気づいた。最近、自分の周りに、温かいものが増えているような気がする。
「シドル!」
背後から、親しげな声が飛んできた。振り返ると、そこには唯一の友達が立っていた。その笑顔は、いつもシドルを包み込んでくれる太陽のようだった。
「どうしたの、元気ないね。学校で何かあった?」
友達は、シドルの隣に座り、心配そうに顔を覗き込んだ。その純粋な瞳に、シドルは一瞬、言葉を失った。この友達も、作られた存在なのだろうか。それでも、この温かさは、偽りなのだろうか。
「いや、別に……」
シドルは曖昧に笑って誤魔化した。真実を求める旅に出ようと決めたばかりなのに、その足取りは早くも揺らぎ始めていた。
数日後、シドルはカフェで、恋人と向かい合っていた。彼女の笑顔は、カフェの灯りに照らされて、キラキラと輝いていた。彼女との時間は、いつも穏やかで、心地よかった。彼女は、シドルのことを、誰よりも理解してくれる。
「シドル、最近、何か悩んでるの?」
彼女は、シドルの手をそっと握った。その温もりに、シドルは安らぎを感じた。作られた世界だとしても、この温もりは、本物ではないのだろうか。真実を知ることだけが、本当に正しいことなのだろうか。
「ううん、大丈夫だよ」
シドルは、彼女の手に自分の手を重ねた。迷いは、深まるばかりだった。真実を求める心と、目の前にある幸福。その二つの間で、シドルは激しく葛藤していた。
そんなある日、シドルは、街の中心部にある古い図書館に足を踏み入れた。真実の手がかりを求めて、彼は書架の間をさまよっていた。埃っぽい空気と、静寂が、彼を包み込む。ふと、一冊の本が、彼の目に留まった。表紙には、何も書かれていない。しかし、不思議な引力に導かれるように、シドルはその本を手に取った。
ページを開くと、そこには、一筋の光が描かれていた。そして、その光の中に、一人の人物が立っていた。その人物は、シドルに向かって、静かに微笑みかけているようだった。
「私が、この世界を創った」
その声は、どこからともなく響いてきた。シドルは、息を呑んだ。目の前に現れたのは、白髪の老人だった。彼は、穏やかな表情で、シドルを見つめていた。
「あなたは、私によって創られた。そして、あなたの人生も、私が設計したものだ」
老人は、静かに語り始めた。シドルは、ただ、その言葉に耳を傾けるしかなかった。しかし、その話を聞きながら、シドルの中に、新たな疑問が芽生えていた。
「でも、なぜ……」
「なぜ、私がこの世界を創ったのか、と?」
老人は、シドルの言葉を遮るように続けた。
「それは、愛だ。創造という行為は、究極の愛の形なのだ」
愛。その言葉は、シドルの心を揺さぶった。しかし、同時に、他の声も聞こえてきた。
「いや、違う。真の創造主は、私だ」
突然、別の声が響いた。シドルが声のする方へ目を向けると、そこには、黒いローブをまとった男が立っていた。その顔は、影に隠れてよく見えない。
「この世界は、私の意志によって創られた。お前たちの知る『愛』などという甘いものではない」
男の言葉は、冷たく、鋭かった。シドルは混乱した。一体、どちらが真実を語っているのだろうか。
「どちらも、真実ではない」
さらに別の声が、静かに響いた。今度は、女性の声だった。彼女は、清らかな白いドレスをまとい、穏やかな微笑みをたたえていた。
「真の創造主は、この中にいる」
彼女は、シドルの胸を指さした。シドルは、自分の胸に手を当てた。一体、どういうことなのだろうか。
混乱するシドルに、黒いローブの男が近づいてきた。
「面白い。お前も、私たちが創った人形の一人にすぎないと思っていたが、どうやら違うようだ」
男は、シドルの顔をじっと見つめた。
「そうだ。お前こそが、この世界の真の創造主だ」
「な……何を言っているんだ?」
シドルは、動揺を隠せなかった。自分が、この世界を創った? そんなはずはない。
「信じられないか。だが、事実だ。お前は、自分自身の世界を創り出した。そして、私たちも、その世界の一部として創られたのだ」
男は、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、お前は、それを忘れてしまった。そして、自分自身を、ただの『作られた人間』だと信じ込んでしまったのだ」
シドルは、男の言葉に、激しい衝撃を受けた。忘れてしまった……? 自分自身を、創り出した……?
その時、シドルの脳裏に、断片的な記憶が蘇った。暗闇の中、一人で泣いていた自分。誰にも理解されず、傷つけられていた過去。あの、辛い日々。
「いじめ……」
思わず、声が漏れた。そう、自分はいじめられていた。誰にも助けを求められず、ただ、耐えるしかなかった。その絶望の中で、自分は、この世界を創り出したのかもしれない。絶望から逃れるために、偽りの世界を、偽りの自分を創り出したのだ。
「そうだ。お前は、辛い現実から逃れるために、この世界を創った。そして、自分自身を『シドル』だと名乗るようになった」
黒いローブの男、ダウトと名乗った男は、静かに言った。
「だが、お前は、本来の自分を忘れてしまった。篠 闘一郎という、本当の名前を」
篠 闘一郎。その名前を聞いた瞬間、シドルの心に、熱いものが込み上げてきた。そうだ。自分は、篠 闘一郎だ。唯一の友達が、自分を「シドル」と呼んでくれたのは、自分が本来の自分を忘れてしまっていたからだ。彼だけが、シドルの心の奥底に眠る、本当の自分に気づいていたのかもしれない。
「お前は、自分自身を取り戻さなければならない」
ダウトは、シドルの肩に手を置いた。その手は、意外にも温かかった。
「この世界は、お前が創った。だから、お前が、この世界の真実を知るべきなのだ」
シドルは、ゆっくりと顔を上げた。目の前に広がる景色が、まるで違って見えた。今まで、不自然に感じていた街並み。どこか歪んでいるように思えた人々。それら全てが、自分の内面を映し出す鏡だったのだ。
「私は……」
シドルは、自分の胸に手を当てた。鼓動が、力強く響いている。
「私は、篠 闘一郎だ」
その言葉は、静かだったが、確かな響きを持っていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。シドルは、ゆっくりと目を開けた。眩しい光が、窓から差し込んでいる。見慣れた天井。そして、自分の体。
「……ベッド?」
シドルは、自分がベッドに横たわっていることに気づいた。夢だったのだろうか。しかし、夢にしては、あまりにも鮮明だった。
「シドル……」
ふと、誰かの声が聞こえた気がした。しかし、それは、あのカフェで聞いた、恋人の声でも、図書館で聞いた、偽りの創造主たちの声でもなかった。もっと、優しく、包み込むような、温かい響き。
「シドル……」
もう一度、声が聞こえた。シドルは、その声のする方へ、ゆっくりと顔を向けた。
そして、彼は思い出した。唯一の友達が、自分を呼ぶ声。あの、温かい、優しい声。
「シドル……」
その声は、シドルの心に、温かい光を灯した。
「……篠 闘一郎」
シドルは、自分の本当の名前を、静かに呟いた。
窓の外では、太陽が、力強く輝いていた。シドルは、その光を浴びながら、ゆっくりと体を起こした。体の中から、何かが、満ちていくような感覚。失っていたものが、戻ってきたような、不思議な感覚。
彼は、ベッドの脇に置かれた、小さな鏡に手を伸ばした。そこに映っていたのは、紛れもない、自分自身の顔だった。
「篠 闘一郎……」
彼は、鏡の中の自分に、微笑みかけた。
この世界は、作られたものかもしれない。そして、自分も、作られた人間なのかもしれない。しかし、それらの事実は、もう、シドルを苦しめることはなかった。
なぜなら、彼は、自分自身を取り戻したからだ。本当の名前を、本当の自分を、思い出したからだ。
シドルは、ベッドから降り、窓辺に立った。街は、いつもと変わらず、活気にあふれていた。しかし、今のシドルには、その光景が、以前とは違って見えた。
この世界は、彼が創り出したもの。そして、彼は、その世界の、真実の創造主。
シドルは、静かに、その光景を見つめていた。彼の心は、穏やかな、そして力強い、決意に満ちていた。
これから、彼は、この世界で、自分らしく生きていく。いじめられていた過去も、失っていた自分も、全てを受け入れて。
篠 闘一郎として。