Chapter 2
転がる日常と、友情の兆し
次々と起こる予想外の事態に、「あっ!」は戸惑いながらも、持ち前の明るさで立ち向かおうとする。そんな中、幼馴染の蒼介やクラスメイトの美月が、それぞれの想いを胸に「あっ!」を支えようと動き出す。友情が試される時。
青空はどこまでも高く、どこまでも澄み渡っていた。まるで、この世のどんな憂いも寄せ付けないかのように、純粋な青がキャンバスいっぱいに広がっている。そんな日差しを浴びて、街はきらめくような活気に満ちていた。しかし、この平和な光景の裏側で、主人公「あっ!」の日常は、静かに、しかし確実に、その軌道を変え始めていた。
それは、いつものように何気ない朝だった。放課後、部活の練習を終え、汗ばんだ額を拭いながら、あっ!は部室のドアを開けた。いつもなら、先輩たちの賑やかな声や、後輩たちの楽しそうな笑い声が響いているはずの場所が、今日は妙に静かだった。
「あれ?みんな、もう帰っちゃったのかな?」
あっ!は首を傾げた。机の上には、誰かが書きかけの楽譜と、半分ほど食べられたお菓子が残されている。どうやら、ついさっきまで誰かがいた気配はある。
「おかしいなあ…」
そう呟きながら、あっ!が部室の片付けを始めようとした、その時だった。
「あっ!、もしかして、まだ部室にいたの?」
背後から聞こえてきた声に、あっ!はびくりと肩を震わせた。振り向くと、そこにはクラスメイトであり、幼馴染でもある月島蒼介が立っていた。彼はいつも通り、落ち着いた表情で、どこか遠くを見つめているような、そんな独特の雰囲気を纏っている。
「蒼介!びっくりしたよ。もうみんな帰ったのかと思ってた」 「いや、俺も今来たところだから。部活、遅くまでお疲れ様」 「ありがとう。でも、なんか変なんだよね。みんな、あっさり帰っちゃって」
あっ!が部室の様子を説明すると、蒼介は静かに頷き、部室の中を見回した。彼の鋭い視線が、あっ!が気になっていた書きかけの楽譜に留まる。
「これは…もしかしたら、誰か忘れていったのかもな」 「うーん、そうかな?でも、誰んだろう?」
あっ!が首を傾げていると、蒼介はふっと微笑み、あっ!の肩に手を置いた。その指先は、驚くほど冷たかった。
「まあ、いいさ。もし忘れ物なら、明日、先生に届ければいい。それより、もう遅いし、早く帰ろうぜ」 「うん、そうする!」
二人は部室を出て、並んで学校の坂道を下り始めた。夕暮れのオレンジ色の光が、二人の影を長く長く伸ばしていく。
「ねえ、蒼介。今日の放課後、なんか変じゃなかった?」 「変?どういうこと?」 「なんか、みんな、いつもと違うっていうか…」
あっ!が言葉を探していると、蒼介は静かに言った。
「もしかしたら、何かあったのかもな。でも、俺たちが心配しても、どうしようもないことだってあるさ」 「そっか…」
あっ!は蒼介の言葉に納得したような、しないような、複雑な気持ちになった。
その夜、あっ!の家に、思わぬ訪問者が現れた。インターホンの音に、あっ!が「はーい」と返事をしながらドアを開けると、そこに立っていたのは、クラスメイトの星野美月だった。彼女は、いつもならあっ!とはライバル関係にある、負けず嫌いでプライドの高い女の子だ。
「美月!?どうしたの、こんな時間に?」 「…ちょっと、話があるんだけど」
美月は、いつもより少しだけ落ち着かない様子で、あっ!の顔をじっと見つめていた。その瞳には、普段見せないような、どこか不安げな色が宿っている。
「え、えっと、どうぞ、入って」
あっ!が促すと、美月は遠慮がちに家の中へ入った。リビングに通し、お茶を出す。二人の間には、ぎこちない空気が流れた。
「それで、どうしたの?何かあった?」 「…あのね、今日の部活のことなんだけど」 「今日の部活?」
あっ!が首を傾げると、美月は深呼吸をして、ゆっくりと話し始めた。
「実はね、部室で、ちょっとしたトラブルがあって…」
美月の話によると、今日の部活中、ある部員が大切な楽譜を紛失してしまい、それが原因で、部員たちが動揺してしまい、あっさり解散になってしまったらしい。そして、その楽譜は、あっ!が部室で見つけた、あの書きかけの楽譜だったのだという。
「えっ!あの楽譜、そんなに大切なものだったの?」 「そうみたい。あの楽譜、部長が作曲中の曲で、もうすぐ発表会があるんだって。だから、すごく心配してたみたいで…」
美月は、そう言うと、あっ!の顔をじっと見つめた。
「あっ!、もしかして、あの楽譜、見なかった?」 「え?あ、うん、見たよ。部室の机の上に置いてあった」 「やっぱり!あの楽譜、誰かが持ち去ったんじゃないかって、みんな疑心暗鬼になってて…」
美月は、そう言うと、あっ!に手を差し出した。
「あっ!、お願い。あの楽譜、どこにあるか知らない?」 「え?う、うん。部室にあったよ。でも、蒼介が、明日先生に届けようって言ってたから…」 「そ、そうだったんだ…」
美月は、ほっとしたような、でも、どこか残念そうな顔をした。
「ありがとう、あっ!。助かったよ」 「ううん、どういたしまして。でも、そんなに大切なものだったなんて、知らなかったよ」
あっ!は、美月の真剣な表情に、少しだけ戸惑いを感じた。いつもは、あっ!のことをライバル視しているはずの美月が、こんなにも真剣に、そして、あっ!に助けを求めてくるなんて。
「あのね、あっ!。私、本当は、あっ!のこと、苦手だったんだ」 「えっ!?」 「だって、いつも、あっ!は楽しそうで、何でもできそうで…私なんか、足元にも及ばないって思ってたから」
美月は、そう言うと、俯いてしまった。その姿は、普段の自信に満ちた彼女からは想像もできないほど、弱々しく見えた。
「でも、今日のあっ!を見て、考え方が変わったんだ。あっ!も、ちゃんと悩んだり、戸惑ったりするんだなって。そして、周りの人のことを、ちゃんと見てるんだなって」
美月は、顔を上げ、あっ!の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、先ほどまでの不安げな色は消え、まっすぐな光が宿っていた。
「だから、これからも、あっ!のこと、ライバルとして、でも、友達としても、よろしくね」 「うん!こちらこそ、よろしくね、美月!」
あっ!は、美月の言葉に、温かい気持ちになった。ライバルであり、友達。そんな関係も、悪くないかもしれない。
その夜、あっ!は、ベッドの中で、今日の出来事を反芻していた。蒼介の静かな励まし、美月の意外な一面。そして、いつもは些細なことで笑い飛ばせるはずの日常が、少しずつ、でも確実に、変化していくのを感じていた。
その変化は、まるで、静かに、しかし力強く、あっ!の日常に波紋を広げていくかのようだった。そして、あっ!は、その波紋の先に、一体何が待っているのか、まだ知る由もなかった。
翌日、学校へ行くと、あっ!は、昨日までとは違う、どこか落ち着かない空気が流れていることに気づいた。教室に入ると、蒼介があっ!に気づき、静かに手を振った。
「あっ!、おはよう」 「おはよう、蒼介。なんか、今日、みんな、そわそわしてない?」 「ああ、昨日の部活の件だよ。楽譜が見つかったらしい」
蒼介の言葉に、あっ!は目を丸くした。
「えっ!本当!?誰が見つけたの?」 「それが、まだ分からないんだ。でも、部長がすごく喜んでたらしい」
あっ!が、昨夜美月からもらった話と、蒼介の話を照らし合わせる。どうやら、楽譜は無事に見つかったようだ。しかし、誰が、どのようにして見つけたのかは、まだ謎のままだった。
「でも、よかったね!」 「ああ。これで、一安心だな」
二人が話していると、教室のドアが勢いよく開いた。そこに立っていたのは、昨日とは打って変わって、いつも通りの元気な姿の美月だった。
「あっ!、蒼介!おはよう!」 「あ、美月!おはよう」 「おはよう、美月」
美月は、あっ!の隣に座ると、昨日のことを振り返るように言った。
「昨日は、ありがとう、あっ!。おかげで、部長も、みんなも、すごく安心したみたい」 「ううん、どういたしまして。それにしても、楽譜、誰か見つけたんだね!」 「うん。それがね…」
美月が、昨日の出来事を話し始めた。昨日の夜、美月が部室を片付けていると、偶然、部室の隅に隠されていた楽譜を見つけたのだという。誰かが、わざと隠したのか、それとも、何かの拍子に紛れ込んでしまったのかは分からないけれど、ともかく、無事に見つかってよかった、と美月は微笑んだ。
「あっ!、本当は、昨日の夜、あっ!に言おうと思ってたんだけど、なんか、タイミングがなくて」 「そっか。でも、よかったよ、楽譜が見つかって」
あっ!は、美月の言葉に、素直に嬉しくなった。ライバルだと思っていた美月が、こんなにもあっ!のことを気遣ってくれている。
「それにしても、あっ!、昨日の夜、誰か来たんだって?」 「え?あ、うん。美月、どうして知ってるの?」 「ふふ、それはね…」
美月は、いたずらっぽく笑い、あっ!の耳元で、小さな声で囁いた。
「蒼介くんから、聞いたんだ」 「ええっ!?蒼介が?」
あっ!が蒼介の方を見ると、蒼介は静かに微笑むだけで、何も言わない。まるで、全てお見通しだと言っているかのようだ。
「蒼介、もしかして、私のこと、見てた?」 「さあ、どうだろうな」
蒼介は、あっ!の問いに、はぐらかすように答えた。
その瞬間、あっ!の胸の中に、温かいものが広がっていくのを感じた。蒼介の、そして美月の、まっすぐな想い。それは、まるで、あっ!の日常を、ゆっくりと、でも確かに、彩り豊かに染めていくかのようだった。
青空は、今日も変わらず高く澄み渡っていた。しかし、あっ!の心の中には、昨日までとは違う、新しい風景が広がっていた。それは、友情という名の、柔らかな光に満ちた風景だった。そして、この風景が、これからどんな物語を紡いでいくのか、あっ!は、まだ知らなかった。